1強時代
とりあえずスポーツに限ったところで、最近どこも「1強時代」のイメージが強い。自分の独断でものを言っているので、本当は全然見当違いかもしれないけれども、そういう印象が特にここ2・3年。
MotoGPのロッシ、自転車はアームストロング、ゴルフはタイガーウッズ、国内だと相撲の朝青龍とか。
たまたま僕が目にするところがそうだからかもしれないけど、オールマイティな1強が突出。ライバルとか名勝負、というのがなりを潜めているような気がして、観る方の自分としては物足りなく思う時が多い。



なんでこんな話するかというと、今日テレビでたまたま「なんでも鑑定団」を見たから。
出品されていたのはビョルン・ボルグのラケット。木製時代のそれは、フレームにヒビもイッてガットもぼろぼろだったけど、もちろん本物で120万ぐらいの評価だった。あわせてボルグのことを解説するVTRが流れていたけど、彼はウィンブルドンを5連覇しているとのこと。

そして、その連覇最後の年に決勝で戦ったのがライバル、J・マッケンロー。テニス史上に残る名勝負だそう。
僕は彼らの時代にオンタイムじゃないけど、ボルグのクールなところやマッケンローの悪童ぶりは昔話で知っている。
それで、もう一つ名勝負を思い出した。これもリアルタイムじゃないけど。
ロバーツとスペンサー。'83年のWGP500ccは凄まじいものだったらしい。
この二人のライディングや性格も正反対で、当時実際に目の当たりに出来た人は幸せだろうなとうらやましく思う。


スポーツ(だけじゃないけど)って、ほぼ同じタイプの近い力量の人が頂点を競うのもそれはそれで楽しいんだけど、それとは別に「常勝の皇帝(将軍でも王様でもなんでもいいけど)」タイプの人と、「ツボにはまったら誰にも真似できない天才」タイプの人が同じ時代に現れたときが一番楽しいと思う。
「皇帝」は常に安定していて、通算とかで見れば圧倒的な戦績を残す人。大体精神的にも成熟した紳士だったりする。「天才」は、ここ一番の時にとんでもないスコアやパフォーマンスを残して記憶に残る、しかも気分屋。いつも勝っている「皇帝」だけど、どうにも仕留めきれない「天才」が目の上のタンコブで気になる、というような。

またこういうときには、往々にして密かに他の才能も活性化していて、悪天候とかの特殊なコンディションだけ、あるいは先行とか特定のシチュエーションだけで強い選手や、攻め手や守勢に特化したタイプの人も現れて、その後に、4強とか5強なんていわれる割拠の時代を準備していたりする。


スポーツを観る側のものとして、日々そういうものを期待しているんですが、贅沢すぎ?我ながらこういう嗜好って、オタク的「燃え(こっちかな?)」の一種っていう気もするけど。
【2006/01/17 23:40】 | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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